今年の正月は昨年に引き続き、秋田の玉川温泉に行ってきました。
新年早々、診察室では
「先生、玉川温泉どうでした?」
「いやあ、やっぱりあそこはすごかったですよ…」
みたいな会話がよくありまして…。
関心を持たれている方が多かったようで…。
ですが、そのまま話を続けると長くなってしまうので、やむを得ず、…フェードアウト…。
なので、いつか別の機会に、ゆっくりお話できればと思っていました。
というわけで、今回は“玉川温泉体験記”です。
玉川温泉は豪雪地帯の山中にあります。
冬季は一般車両通行止めとなっており、路線バスが唯一の交通手段。
秋田新幹線の≪田沢湖駅≫〜≪玉川温泉≫間で運行される1日数本のローカルバス。
マイカーで来た客は駅前のロータリーや有料駐車場に車を置いて、バスに乗り換えます。
私ら夫婦は大宮から新幹線で田沢湖駅へ。
駅に降り立った瞬間、空気がとっても澄んでいて気持ちいい!思わず深呼吸。
もちろん埼玉より気温は低いのですが、雪の湿気がある分、体感温度はさほど変わらない感じ。
下の写真は田沢湖駅。
ほどなくして、駅前の停留所で目当てのバスに乗り込みました。
この時期は乗客のほとんどが玉川温泉の泊り客です。
さあて、いざ「しゅっぱーつ!」と、思いきや、いかにも足取りの重そうな婦人がのっそりのっそりとバスに向かって歩いてくる姿が。
バスの運転手さん少し逡巡した様子だったけど、待つことに。
ようやくそのご婦人が乗り込むと、運転手さん「はい、気をつけてくださいね。近くの席に座って…」と、
やや遠まわしでソフトな言い回しながらも、その口調には「早くして」というニュアンスが…。
豪雪地帯の道路状況を想像するに、たしかに運転士さんとしては発車時刻は守りたいとこだよなあ…。
なんて勝手な思いをめぐらせるなか、ようやく出発したバスが数メートル走ったところで、すぐに停車。
え?何?と思っていたら、バスに向かって走ってきた女性がいたんですね。
それを見た運転士さん思わずブレーキを踏んで、ドアを開けました。
そして、外にいる女性が運転士さんに向かって、懸命に何かを尋ねている?訴えている?感じ。
その女性が何を言っているのかは聞き取れなかったんですが、運転士さんは「あそこの駐車場…」「次のバスは…」「ここで…」と、何やら説明してるんです(けっこう長いやり取りでした)。
で、女性は駅前ロータリーのほうへ走り去って行きました。
よほど切羽詰まった問いかけだったというのもあるんでしょうけど、運転士さんは実に丁寧に対応していたので、感心しちゃいました。
やれやれ、ちょっと遅れちゃったけど、いよいよ今度こそ出発だなと思ったら、バスはそのまま十数メートルほど進むと、駅前ロータリーの駐車場の横で、なんと再び停まっちゃったんです。
えー?うそー?どうしちゃったの?
駐車場の方を見ると、1台の車がちょうど駐車スペースにバックして停めようとしているところ。
駐車し終えると、さきほどの女性がトランクから荷物を取り出し…、運転席には夫らしき人物がいそいそとダウンジャケットに袖を通し…、後部座席からはお年寄りの男性が降りてきて…。
40代とおぼしきご夫婦とその父親らしき男性の計3人が、それぞれの準備をすますと、駐車場からこちらのバスに少し慌てた様子で歩いてきて…。
つまり、こういうことだったのです。
その女性は夫の運転するマイカーで来た。乗ろうと思っていたバスが発車するのを見た。そこで車を降りてバスに向かって走った。バスの運転士に掛け合ってみよう。うまくすれば乗せてもらえるかもしれない。ラッキーなことに優しい運転士さんだった。交渉成立。
いやあ、同じ路線バスでも都会では考えられない光景ですよね。
地方の路線バスならではのハートフルな対応と言えば、そうなんでしょうけど、正直びっくり。
都会人の感覚では違和感を覚える出来事かもしれないけど、もしかすると、こちらのほうでは日常的な光景なのかもしれない。
「やっぱり田舎って、人々の心に余裕があって、いいもんだなあ」
なんて、勝手に北国の旅情に浸りつつも、最初のご婦人に対する明らかに「早く座れ」と言わんばかりのせかしたような口ぶりとのギャップが面白く…。ちょっと不思議な運転士さんって感じ。
さて、その3人が来るのを待っているときのバスの車内の空気がまた微妙だったこと…。
なかには露骨に「何で停まるのよ。おかしいんじゃないの…」とブツブツ文句を言っている乗客もいましたし…。
私ら夫婦は「急ぐ旅でもないし、行き先はひとつだし、チェックインの時間にも余裕があるし…」と、基本的にはそういう姿勢でありつつも、「まあ、でも、たしかにちょっとびっくりするよね…」みたいなスタンス。
ただ、乗客の中には「まったく意に介さない達観の人」、あるいは「ちょっと苛立ちモードの人」、いろいろだったと思うんですよね。
そんな空気が充満しているバスの中に、その3人は乗り込むことになるわけです。
路線バスと言っても、いわゆる観光バス仕様の車輛でしたので、全部前向きの椅子になっています。
ですから乗り込むと、ほぼ全員の視線を感じることになるわけで…。
最初にお父さん(70代後半くらい?)が乗ってきました。
そしたら車内の空気が分かったんでしょうね、開口一番「いやあ、なんだか、…ねえ、お待たせしちゃったみたいで、ほんとに、…なんか、恐縮で…、ええ、ホントに…」と、半ば独り言のようにしゃべり始めたんです。
伝えるべき相手が複数いるなか、露骨に視線を合わせるのも憚れるし、特定の人に話しかけるわけにもいかないし、かと言って披露宴のスピーチみたいに「えー、皆さんこのたびは」とかしこまって口上を述べるのも大袈裟だし、とてもむつかしい対応だったと思うんです。
でも、乗客にその真意はしっかり伝わっているわけで…。
ところが、今ひとつ気持ちを伝え切れていないと感じたんでしょう。このご老人、なかなか座ろうとしないんです。
立ったまま、懸命に申し訳ないという思いを紡いでいるさまに、いたたまれなくなった一人の客が思わず 「そんな…、もう大丈夫ですから、さあ、どうぞお座りになってください」と話しかけてあげたんです。
これが乗客側からの唯一のリアクション。
その言葉を発したのは、私の家内でした。
おー、さすがだ。俺と同じ気持ちだったか。とっさに口に出てしまうところが、実にお前らしい。
でも、その突発的に出される言葉は、ときに意味不明なものがあって、俺を悩ますんだけどね。
ただ、今回のはgoodだ!
そこに荷物を抱えたご夫婦がようやく乗車してきました。
あらかじめお父さんが車内の空気を少し和らげていたおかげ?もあって、ご夫婦の方は「すいません」と軽く会釈して、席につき…。
さてさて、バスはめでたく発車となりました。
このご老人が次にとった行動がまた実にハートフル。
ご夫婦とは離れて、運転士さんの真後ろに一人腰かけると、今度は運転士さんに何やら話しかけ始めたんです。
その内容ははっきり覚えていないんですが、その意図は分かりました。
今度は運転士さんに対して「謝意を伝えたい」。
でも、ここでも、やっぱり明確な表現はむつかしかったんでしょう。
あからさまに、「待っていただいて助かりました。ありがとうございました」みたいなことを言えば、一連の展開を快く思っていない乗客を刺激することになります。
だから、ここでも遠回しな感じで、気持ちを表したいんです。
その言葉の中に「優しい運転士さん…」というのがあったのだけは覚えています。
たしかに、この表現だと乗客を刺激しない。
でも、妙にハイテンションになっていたので、運転士さんのほうはひいちゃってましたが…。
そうこうしているうちに、次のバス停に到着。
そこから7〜8人くらいの人が乗り込んできました。
彼らはバスがどうして遅れたのかはもちろん知らない。雪国だし、1日数本しかないローカルバスだし、おそらくさほど意に介してはいなかったでしょう。
それよりも、寒さを逃れてようやく暖かい車内に入れるというほっとした気持ちで乗り込んできたはず。
ほとんどが湯治客ですから、大きな荷物を抱えています。
すると、このご老人、そのうちの一人の大きなトランクをやおら掴んで、座席まで運ぼうとし始めたんです。
玉川温泉に湯治に来るくらいだから、ご自身も決して丈夫というわけでもないんでしょうに、150センチくらいのか弱い年寄りがよろめきながらも、一所懸命に手伝ってる。
ところが、思うようにトランクを運べない。かえってその後ろの客が進めなくなってる。
荷物の持ち主にしてみれば「このお爺ちゃん、なんでこんなに親切なの?」と同時に「気持ちは嬉しいけど、かえって邪魔なんですけど」みたいなちょっと困惑した表情。
さすがに見かねたのか、息子さんが「お父さん、何やってんの。ほら、座って…」と。
その声を聞いて、お爺ちゃんのほうもさすがに諦めた様子で、自分の席に戻り…。
気持ちは痛いほど分かります。
自分らのせいでバスを遅らせてしまった。そのため寒風吹きさらす道路で待たされていた人たちに対しても、やはり申し訳ないという気持ちから、思わずそういう行動に出てしまったんでしょうね。
決してスマートな方法ではないかもしれない。むしろ滑稽なほどに不器用なふるまいかもしれない。でも気持ちだけは他の乗客のみんなに伝わった気がする。
シャイで可愛らしいお爺ちゃんの立ち振る舞いに、心がほんわかしてきて、ちょっぴり感動的ですらありました。
さて、車窓から眺める外の景色は、見事なまでの雪景色。
バスは確実に秘湯“玉川温泉”への歩みを進めていったのでした…。
路線バスの終着駅は「新玉川温泉」。
そこで雪上車に乗り換え、私たちの泊まる宿「玉川温泉ホテル」にようやく到着。
早めのチェックインをすませたあと、部屋でしばしの休息と読書。
日が暮れる頃、いよいよ1年ぶりの玉川の湯へ。
浴室に入って、まずかけ湯。そして洗い場で全身を清め、いざ入湯!
すると、広い浴室内には、どこからともなく口笛の響きが。
ここは高級リゾートホテルではないので、BGMはありません。
シャワー音が聞こえる程度の、静寂に包まれた湯治場。
なのに、口笛?まあ、きっと温泉気分で気持ち良くなった“どこぞの誰か”が吹いているんでしょう。
とりたてて耳障りでもないし…。ま、いっか。
まずは源泉50%の湯に浸かり…。
「ふーっ、やっぱり気持ちいい。これぞ名湯“玉川の湯”」
はるばる来た甲斐がありました。
と、ひとり感慨に浸っていると、口笛の後に続いて、なんと、その主と思しき客が今度は歌い始めたではありませんか。
「うーさーぎおーいし、かーのかーわー…」
おおー、今度はついに歌い始めたか。さすがに、これには関西人ばりのつっこみを内心で。
「歌ってはるわ。このおっさん」
しかしすごい度胸というか、これは微妙だぞ。人によっては眉をひそめるんじゃないか。
でも、うまいな。
美声だ。
こういう状況で音程をはずされたりすると、イラッとくるやもしれんけど、これだけ上手だと、思わず聞き入っちゃう。
いやあ、ホント、すごくいいわ。 最高のBGMだ!
ってなことはさておいて、ここの湯は長湯は禁物。5分ほど浸かったので、いったん湯から出て休憩せねば。
それにしても、この美声の主は?ちょっと気になるな。さりげなく顔でも見てみるか。
声のする湯船のほうへ行くと、そこには見覚えのある顔が。
えっ? うっそー!! ほんまかいな(またもや関西弁)。
一瞬、自分の眼を疑ったけど、たしかに間違いない。
声の主は紛れもなくあの“お爺ちゃん”!
シャイな気遣いに溢れて、可愛らしいと、私が勝手に思っていたあのご老人。
ここでは、まあ堂々と声を張り上げて歌ってらっしゃる。その姿は豪放磊落そのもの。
なんなんだー!このギャップは?
あの運転士さんといい、このご老人といい、人って本当に不思議な生き物。
そして、自分もまだまだ人を見る目がないってことか。
いやいや、恐れ入りました。