2013年09月19日

そして竜巻は突然に。

皆さん、お久しぶりです。

開業10周年(移転3周年)の記念すべき年に、急転直下の閉院…。

急遽、越谷の実家−三上接骨院−に戻ることが決まって…。


ただ…
テナントは「完全スケルトン返し」という契約のため、

コンクリート打ち放しの状態に戻さないといけない。

ところが、解体業者の見積もりが、どえらい金額!

どうしよう、そんなお金、どこにもない…。


さらに、父親から「あんなに大量の本を持ちこまれても困る」と

マイ蔵書の持ち込みを拒否され…。

かけがえのない、最愛の本たちを手放すなんて、

オイラにはできない…。どうしよう。


さらに、院内の備品や看板などの不用品の処分に

けっこうなお金がかかる。

引っ越し費用もおぼつかない。

これまで何度も引越しを繰り返してきたけど、

今回はマイカーがないので、何かと不便…。


どうする、どうする、どうしたらいいんだー!

と絶叫したい気分。


こういうときは、時覚(“ときかく”と読みます)

を全開にして、未来を感じるしかない…。

『絶対にうまくいっているはずの未来』を。

(“時覚”については後ほど…)

すると、

あるインスピレーションが。

まず本の問題。

…実家の、ふだんあまり使っていない和室。

そこの押し入れの下にけっこうなスペースがある。

そこを利用するアイデアが降りてきた!

そこに収納すれば、父もきっと許してくれる!

そんな気がする。

布団を置くための収納として使っていたスノコベッド(下の写真)。

after11-thumbnail2.jpg

これをジグソーで切り刻んで、平置きタイプの収納ラックに作り変えよう!

で、作ったのが下の写真。

003dd.jpg

キャスタ−を取り付けたので、手前に引き出して使うことができます。

写真だと分かりづらいけど、これ、相当に大容量の収納が可能なんです。

我ながらびっくり!

ここに納まりきらない本は、自分の部屋の本棚のほうに。

父親の反応はいかに?

何も言っていなかったので、たぶんOKだったのでしょう。

「ホッ」

こうして引越し前に、本の収納問題を解決させ…。


あとは、
レンタカーを2回に分けて借りて、自分たちで運べる物を少しずつ…。

さらに、

引っ越し業者さんに粘り強い交渉を続け、

看板や不用品を格安で処分してもらって、

なおかつ引っ越し費用も相当にまけてもらって、

蓋をあけてみたら、びっくりーな小額!


最後の総仕上げに、

空間(内装たち)への感謝の思いを込めて、
家内と2人、院内をピカピカに磨き上げ、

3年前のオープン時と変わらぬ姿(下の写真)に。

005.JPG


002.JPG

8月のお盆過ぎ、ようやく引越し完了。

テナント募集の張り紙が。

018.JPG


あとは、スケルトン返しの問題。

院内は超こだわりの内装で、

とくに待合室はライブラリーカフェ仕様。

無垢の木材、天然の自然素材、ホタテ貝殻で作られた白漆喰…。

さらに電磁波カットの内壁工事まで。

小さな家が一軒建つほどのお金をかけて作った空間。

全部壊して、無に帰してしまうのは、あまりに忍びない。

でも、大家さん曰く、あくまでも「契約書通りに」。

「そっ、そうすか…」

どうしよう、ホントに先立つものが…たらーっ(汗)


てなわけで、ここでも“時覚”全開!

未来を感じるんだ、感じろ!My time-sense!

すると、不思議と嫌な感じがしない。

悲観するような、イヤな予感が一切ない。

これは、きっと奇跡が起こるに違いない。

しかも、クモが戻ってきた!

沈没する船からネズミがいなくなる話じゃないけど、

閉院を決断したあたりから、院内に時々出没していたクモが一切現れなくなった。

ところが、あるときから、また現れ出した。

クモの“時覚”が未来を感じて、ここが解体されないことを知ったからだ!

未来が書き変わったんだ!

そんな風に、勝手な解釈…。



でも、私の“時覚”、けっこうイケてるかも!

なんと、本当に奇跡が起きたんです。

土壇場になって、

不動産の担当者と大家さんの話し合いのなかで、

大家さんの気が変わって、「現状のままでいい」ということに!

「このままのほうが、次の借り手が見つかりやすい」という結論に…。

これだけの空間ですからね…、

全部を壊さずに、使えるところは残して…、という展開のほうが、きっといいだろうと。

やったあー。助かったあ。

お金の問題もさることながら、何よりも全壊せずに済むことがホントに嬉しい…。

そして、

その後も、小さな奇跡の連続が…。



そう言えば、

たいていの患者さんにとって、越谷は遠方になってしまったのですが、

私が予想していたよりずっと多くの方が、来てくれまして…。

そして、皆さんから

「越谷って、きれいな街ですね」

「思ったより近かったわ」

院内の雰囲気に関しても、

「なんか懐かしい感じ…」

というようなお言葉を頂戴することが多く、

ホッとしてます。


そして、つい先日、とても不思議なことが。

朝から何とも言えない変なイメージが湧きおこって…。

巨大な何かが街を横切って、バラバラっていう感じ。

ホントに、電撃的に「バラバラバラ」っていうイメージ。

これって、いったい何だろう?

そしたら、その翌日、越谷を襲った竜巻被害。

(被災者の方々に心よりお見舞いを申し上げます)




「医学の歴史を塗り替える発見」と自惚れている「痛み記憶の再生」理論。

これが舞い降りてきたときも、強烈なインスピレーションでしたが、

“時覚”のイメージを受け取ったときは、それに優るとも劣らぬ衝撃でした。

ヒトの脳には、時間を感じる神経回路網があり、

いわゆる“五感”同様、“時間”という情報も入力されている。

(今のところ、体内時計という概念で説明されることが多い)

そうした神経回路網のなかに、

未来ニューロンとも言うべき、特殊な神経回路があり、

私たちには、0.35秒先の未来を感じる力がある。

これは哲学と脳科学の領域で論争が続いている自由意志の有無の問題、

すなわちベンジャミン・リベットの実験結果に対する、

私こと三上の新解釈に基づく概念です。


五感、直感、第6感を超越する、新たな感覚、

これまでの生命科学になかった新しい概念、

ヒトには「時間を感じる力」がある。

これを“時覚(ときかく)”と言う。

三上の造語に過ぎませんが、しかし、間違いなく、

「ときかく」は存在します。

たとえば、時計を見ずに、「10秒」を言い当てるゲーム。

これはその人の時覚の能力の一部が表れる遊び。

あと、

子供と大人では、時間の進むスピードが違うように感じるし、

なんといっても時覚を一番感じる瞬間は、事故ったとき…。

かつて若かりし時、

雨天、交差点の左折時、私の車がスピンして、ガードレールに衝突!

その瞬間、生命の危機を察知した脳は、

時覚全開となって、1秒が5秒くらいに感じるほどのスローモーションに!

ガードレールにぶつかる、ぶつかる、ぶつか、る、る、る、

ドーン!

あのときのことは今でもはっきり思い出せます。

目の前の映像は確かにスローモーションでした。

そして、ほかにも

デジャブー。

虫の知らせ。

得体の知れない胸騒ぎ。

9.11の同時多発テロを予知夢に見た人が、世界中に複数存在した事実(日本人も含む)。

このように“時覚”の存在を裏づける事例は、たくさんあります。

何らかのきっかけで、

時覚を司る神経回路網のうち、

未来ニューロンのフェーズシーケンス(神経回路の拡大的形成)がおこると、

ふだんは、0.35秒先の未来を感じる能力が、

1日先の未来、数週間先の未来、場合によっては数年後の未来を知るまでに膨張する。

それらは通常、無意識の中でのみ感知されるものだが、

何らかの理由で意識に上ってしまうと、それが予知夢になったりするのでは、

と、私は考えています。


年寄りのなかには、自分が死ぬ日を正確に言い当てて亡くなる人がいる。

「おらは、明日迎えが来るから、今日は(大好物の)大福を食うだよ」

なんてことが実際にある。

私のこれまでの人生で、幾度となく体験してきたシンクロニシティ。

これも時覚と密接なつながりがあるような気が…。



実は、この数カ月間、ここには書けないことが他にも色々ありました。

“けっこうな追い詰められよう” でしたが、

そのなかで、自らの時覚を全開にする場面が多かった…。

その結果、時覚の異常発達がおこり、

「竜巻のプチ予知」

につながったのではと、そんな気がしてます…。


遺伝子のなかのイントロン(働きが分かっていない部分)、

この謎が解き明かされるとき、

もしかすると、人類は“時覚”の本当の意味を知るのかもしれません。



不幸の嵐のなか、

絶望してしまっても不思議じゃないほどに、

追い詰められているのに、毅然として生きる人。

あり得ないほどのどん底から、結果的に這いあがってしまう人。

こういう人たちは、無意識の時覚が、明るい未来を感じているから、

つまり、成功する自分を感じているから、

目の前の一歩を踏み出すことができる。

そして歩き続けることができる。



Facebookの「4月18日の友達へのコメント」に書いたとおり、

私は徹底的な「光の解釈」実践者。

その根底、根源には、

これまで数え切れないほどの奇跡に触れたことで、自分と自分を取り巻く人々が、

宇宙から、完璧に守られている、愛されているという、

これ以上ないほどの確信、信念があるんです。



こうした哲学に辿り着く前は、

か弱き凡夫ゆえ、自殺を考えたこともありましたが、

それとて、やはり巧妙なる宇宙の筋書きのもとで、

回避させられました(今にして思えば)。



自分がこれほどにも宇宙から愛されている、守られている、

という実感に包まれて生きていると、

当然、感謝の気持ちに満たされます。

些細な出来事にも、いつも「ありがたい」という気持ちに。


そして、光の未来を信じる、と言うか、絶対にそうなっているという当たり前の前提。

「信じる」という文言は、えてして「実は信じていない人」が口にする常套句。

たとえば、患者さんが「先生を信じて、しばらく通います」と言ったら…、

その人の無意識に近い深層心理では「信じていない」。

裏をかえせば、「信じている」のではなく、「信じたい」という願望。

本当に信じている人は、そもそもそういう発言はしない。


だから、私は「光の未来を信じている」とは言わない。

あらゆる生命の前提に「死」があるように、

私の存在前提として「光の未来」がある。

光の未来のその先に、たとえ死が待っていようと、

その死の先に、また別次元の「光の未来」が…。



皆さんも、ためしに時覚を全開にして、

感じてみませんか。

あなたの存在前提が、光の未来である限り、

時覚はきっと、あなたを勇気づける何かをもたらしてくれます。



過去を変えることはできないけれど、未来はいつでも書き換えることができる。

もし時覚が、望まない未来を感じたのなら、

“思い”のフィードフォワード制御を実行して、

未来を書き換えてしまえばいい。

心のどこかに、光を遮る何かがあるときは、

それを取り除けばいい。


まずは未来を書き換えて、

そのうえで、

そうした光の未来を時覚で感じることができれば、

最小限のフィードバック制御だけで済みます。

はじめの一歩を踏み出すことができます。


8月から始まった新たな人生。

子供がいない私ら夫婦と、

両親…

との同居生活。


でも、

時覚が感じている“光の未来”…。



004.JPG

私ら夫婦の部屋から臨む庭。
 

心地いい風が入ります。








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posted by 三上敦士 at 21:23| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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